愛の反対は憎しみではない、無関心である・・・

愛は人に与えたとき本当に美しい花を咲かせる・・・愛によって解決しないものはないのである。それは利己の反対であり、おのれが無くなって相手を生かそうとすることである。そしておのれがなくなり、自分の幸福など忘れ、求めなくなり、愛他的な心と行動とを実践するときその愛が成就し、本当の幸福感が得られるのである。(谷口雅春著『人生を見つめて』より)

愛を与え続けた人。そう聞いて思い出すのが「マザーテレサ」です。先日「人の喜びが自分の喜び」と一所懸命活動している友人が、夢は「マザーテレサ」のようになりたいと言っていたので、改めて「マザーテレサ」とはどんな人なのかな〜と思いまして学んでみました・・・

インド北部にあるコルカタ(カルカッタ)の一角に「死を待つ人々の家」と呼ばれる施設があります。ここでは、身寄りもなく死に瀕した人が引き取られ、手厚く介抱されながら最後の時を迎えます。この施設を活動の原点として、貧困に苦しむ人々を救い続けたのがカトリックの修道女「マザーテレサ」です。幼い頃から人々が民族や宗教の違いでお互いを憎み傷つけ合う姿を目の当たりにしてきたマザーテレサは、カトリックの聖人アッシジの聖フランシスコの祈りの言葉「主よ、あなたの平和をもたらす道具として私をお使い下さい。憎しみのあるところには愛を、不当な扱いのあるところには許しを、分裂のあるところには一致を」に心動かされ、自分も聖フランシスコのように生きようと心に誓いました。

この志に順するためマザーテレサはインドのスラムに身を投じます。そこでの光景は最も貧しい人たちが誰からも見捨てられ、路上で死に行く人です。そしてそのことに無関心でいる周囲の人々でした・・・

愛の反対は憎しみではない、無関心である

マザーテレサは目の前の苦しみ喘ぐ人一人ひとりに救いの手をさし延べます。しかし紛争は絶えることなく、その犠牲になる人々は増え続けます・・・「自分はなんて小さな存在なのか、ほとんど無に等しい」とマザーの葛藤は続きましたが、そんな中マザーテレサの活動が世界に注目される時がやってきました。一人ひとりの意識が変われば、世界が変わり、必ず平和に繋がるのです。マザーテレサの信念が、やがて多くの人たちの心を揺り動かしたのです・・・

愛を惜しみなく与え続けた「マザーテレサ」。唯ひとりの壮大な信念と目の前の一人ひとりに掛けた慈しみ。長い年月をかけて地道に活動を続けてこられたマザーテレサの行動は、尊敬などとはおこがましくて言えません。その姿は神様そのものであると思います。改めて「愛」を基にした信念の大切さと、目の前に与えられた出来事に「愛」を出し、やり続ける行動の大切さを感じることができました  ありがとうございます!!

マザーテレサの名言の数々。特に心に響いた言葉を記しました・・・

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」

「人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなくし善を行い続けなさい。あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にすることなく助け続けなさい。あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」